チューリングマシンによるカンマ区切り二進数リストの合計計算:シミュレーターで追う動作ステップ
はじめに
本稿では、チューリングマシンがテープ上のカンマ区切りで表現された二進数のリストの合計を計算する処理について解説します。計算機科学の基礎であるチューリングマシンは、そのシンプルな構造にも関わらず、あらゆる計算を実行できる理論的なモデルです。しかし、抽象的な定義だけでは具体的な計算処理がどのように実現されるのかイメージしにくい場合があります。
ここでは、数値リストの合計計算という少し応用的なタスクを取り上げ、チューリングマシンがどのようにテープ上のデータを読み取り、加工し、結果を出力するのかを具体的な動作ステップを通して追っていきます。シミュレーターを活用することで、本稿で解説する遷移規則やテープの状態変化を視覚的に理解し、チューリングマシンの動作原理と表現能力への理解を一層深めることができるでしょう。
チューリングマシンの構成要素と数値リストの表現
まず、本稿で扱うチューリングマシンの基本的な構成要素と、入力となる数値リストのテープ上での表現形式を確認します。
チューリングマシンの基本要素
チューリングマシンは主に以下の要素から構成されます。
- テープ: 無限に長いセルの並びで、各セルには記号が一つ書かれています。本稿では、入力となる二進数、カンマ、そして空白シンボルを使用します。
- ヘッド: テープ上のセルを指し、記号の読み書き、左右への移動を行います。
- 状態レジスタ: マシンの現在の状態を保持します。有限個の状態を持ちます。
- 遷移関数: 現在の状態とヘッドが読み取った記号に基づいて、「書き込む記号」「ヘッドの移動方向(左L, 右R, 停止S)」「次の状態」を決定する規則の集合です。
テープ上での数値リスト表現
入力となる二進数リストは、テープ上に以下のような形式で表現されるとします。
_,...,_,0,...,0,_,数値1(二進数),_,数値2(二進数),_,...,_,数値n(二進数),_
_
は空白シンボルを表します。- 数値は二進数表記(0と1の並び)です。
- 各数値の前後には区切りとして空白シンボル
_
を一つ置きます。 - リストの合計結果を格納するために、テープの先頭部分に十分な数の空白領域(または初期値0を表す二進数とそれに続く空白)を確保しておくと便利です。計算後、この領域に合計値が二進数で書き込まれます。
例:テープ初期状態(合計領域+入力リスト)
_ _ _ _ _ _ 1 0 1 _ 1 1 _ 1 0 0 0 _ _ _
ここでは、合計値用に十分な空白を設け、入力リスト 101
(5), 11
(3), 1000
(8) が並んでいるとします。計算結果は合計領域に 11000
(16) となります。
合計計算アルゴリズムの概要
テープ上の二進数リストの合計を計算するチューリングマシンの基本的なアルゴリズムは以下のようになります。
- 初期化: ヘッドをテープの左端に移動させ、合計値を格納する領域に移動します。この領域を0に設定します(実際には、十分な空白を確保し、後で計算結果を書き込む場所とします)。
- 数値の読み取りと加算:
- 入力リストの最初の数値の先頭にヘッドを移動させます。
- その数値を読み取り、現在の合計値に加算します。この「加算」はチューリングマシンのサブルーチンとして実装される複雑な操作です(二進数加算の方法については、関連する別の記事を参照してください)。加算後、合計値領域が更新されます。
- 加算済みの数値は、再度読み取らないように印(例: 特定の記号で上書き)を付けるか、ヘッドをリストの次の数値の場所へ移動させます。
- 区切りと次の数値への移動: 数値の区切りである空白シンボルをスキップし、次の数値の先頭を探します。
- リスト終端の判定: テープの右端まで移動し、次の数値が存在しないことを検出します。
- 停止: 全ての数値の加算が完了したら、マシンを停止させます。合計値は指定されたテープ領域に書き込まれています。
このアルゴリズムを実現するためには、テープ上の複数の位置(現在の合計値領域、現在読み取っている数値の領域)を効率的に行き来し、加算という比較的複雑な処理を状態遷移とヘッド移動だけで行う必要があります。
具体的な動作ステップとシミュレーターでの対応
上記のアルゴリズムを、シミュレーター上での具体的な動作と対応させながら追ってみましょう。ここでは、入力テープが _ _ _ _ _ _ 1 0 1 _ 1 1 _ 1 0 0 0 _ _ _
(合計領域 _ _ _ _ _ _
+ リスト 101
11
1000
)である場合を考えます。合計値は先頭の空白領域に書き込むとします。
ステップ1:初期状態と合計領域への移動
- 理論: 初期状態からスタートし、ヘッドをテープの左端に移動します。そして、合計値を書き込む予定の領域の右端(入力リストの開始位置の少し手前)まで移動します。
- シミュレーター: 初期状態 (例:
q_start
) から左方向へヘッドを動かす遷移規則(例:(q_start, _, _, L, q_start)
)を使って左端に到達します。左端を示す特別なマーカー(シミュレーターの機能による)を検出するか、テープが左方向に無限に続かない設定であればその終端で状態を変えます。その後、右方向へ移動し、最初の数値の直前の空白シンボルを探して状態遷移します。
ステップ2:最初の数値の加算準備
- 理論: ヘッドを入力リストの最初の数値(この例では
101
)の先頭に移動させ、合計値領域を指すヘッド位置を記憶(状態やマーク付けで実現)し、加算サブルーチンを呼び出す準備をします。 - シミュレーター: 最初の数値
101
の最初の1
にヘッドを合わせます。現在の状態を「数値読み取り準備中」のような状態に遷移させます。合計値領域の管理方法によりますが、単純な実装では、合計値は常にテープの先頭領域にあり、数値を読むたびにヘッドがその領域に戻って加算処理を行うと考えられます。
ステップ3:二進数加算の実行
- 理論: 現在読み取っている数値(
101
)と合計値領域にある数値(最初は0に相当)を二進数として加算します。この過程でヘッドは合計値領域と数値領域を何度も行き来し、桁ごとの加算と繰り上がりの処理を行います。加算が完了したら、読み取った数値には何らかの処理済みマークを付けます(例: 記号をX
などに変える)。 - シミュレーター: シミュレーター上で、これは一連の複雑な状態遷移として表現されます。例えば、「合計領域の最下位桁に移動」「入力数値の最下位桁を読む」「加算規則に従って合計領域に書き込む」「繰り上がりがあれば記憶」「ヘッドを入力数値の次の桁へ移動」「合計領域の次の桁へ移動」といったサイクルを繰り返します。加算が終了した入力数値のセルは、遷移規則によって記号が変更されます。
ステップ4:区切りと次の数値への移動
- 理論: 加算済みの数値の終端(この例では
101
の最後の1
の後にある空白_
)にヘッドを移動させ、そこから右方向へ移動して次の数値の先頭を探します。処理済みのマーク(例:X
)はスキップします。 - シミュレーター: 状態を「次の数値探索中」などに遷移させ、右方向へヘッドを移動させます。空白シンボル
_
を読み飛ばし、次に空白ではないシンボル(次の数値の最初の桁1
)が見つかったら状態遷移します。
ステップ5:リスト終端の判定と停止
- 理論: ステップ4で右方向へ移動した際に、次の数値ではなく、リスト全体の終端を示す記号(この例では入力リストの最後の
1000
の後の空白_
、さらに右の空白領域)に到達したことを検出します。これは、空白シンボルが連続する、あるいは事前に定めた終端記号を見つけることで判定できます。終端であれば、合計計算が完了したと判断し、マシンを停止状態に遷移させます。 - シミュレーター: ヘッドが空白シンボルを読み取り、連続して空白が続く場合に「リスト終端検出状態」に遷移するように遷移規則を定義します。この状態から最終的な停止状態 (例:
q_halt
) へ遷移します。
上記のステップを全ての数値について繰り返すことで、テープ先頭の合計領域に最終的な合計値が二進数で書き込まれます。
シミュレーターで実装するための遷移規則の例
この合計計算マシンをシミュレーターで実装するには、多数の状態と遷移規則が必要です。ここでは、アルゴリズムの一部を表現する簡単な遷移規則の例を示します(実際の完全なセットは非常に複雑になります)。
- テープアルファベット:
{0, 1, _, X}
(0, 1は二進数、_は空白、Xは処理済みマーク) - 状態:
{q_start, q_find_sum_area, q_find_next_num, q_read_num, q_add, q_skip_processed, q_halt, ...}
遷移規則の断片例:
- 初期状態から左端へ移動:
(q_start, _, _, L, q_start)
- 左端から右へ移動し、最初の空白でない記号(入力リスト開始)を探す:
(q_start, '1', '1', R, q_find_sum_area_end)
,(q_start, '0', '0', R, q_find_sum_area_end)
... - 合計領域の右端(入力リスト直前)に到達した状態からの遷移(最初の数値の先頭へ移動):
(q_find_sum_area_end, '_', '_', R, q_find_next_num)
- 次の数値の先頭を探す(空白をスキップ、処理済みマークはスキップ):
(q_find_next_num, '_', '_', R, q_find_next_num)
(q_find_next_num, 'X', 'X', R, q_find_next_num)
- 次の数値の先頭(
0
または1
)を見つけたら、数値を読み取る状態へ遷移(ここでは単純化し、すぐに加算サブルーチンへの入り口へ遷移すると考える):(q_find_next_num, '0', '0', R, q_add_start)
(q_find_next_num, '1', '1', R, q_add_start)
- 加算サブルーチンへの入り口状態から、加算処理を行う状態
q_add
へ(加算サブルーチン自体は多数の状態と遷移規則から成る):(q_add_start, current_symbol, write_symbol, move_direction, q_add)
- 加算サブルーチン内部(例: 二進数加算の記事を参照)... 加算終了後、読み取った数値にマークを付け、次の数値を探す状態に戻る:
(q_add_finish, '0', 'X', R, q_skip_processed)
,(q_add_finish, '1', 'X', R, q_skip_processed)
- 処理済みの数値(マークされたセル)をスキップして、次の区切り(空白)を探す:
(q_skip_processed, 'X', 'X', R, q_skip_processed)
- 区切り(空白)を見つけたら、次の数値の先頭を探す状態に戻る:
(q_skip_processed, '_', '_', R, q_find_next_num)
- リスト終端の検出(空白が続く場合):
(q_find_next_num, '_', '_', R, q_end_check)
...(q_end_check, '_', '_', R, q_halt)
- 最終的な停止状態:
q_halt
上記の規則は概念的なものであり、実際のシミュレーターで動作させるには、状態間の遷移、テープ操作、特に二進数加算サブルーチンの詳細な実装が必要です。シミュレーター上でこれらの遷移規則を定義し、テープ上の入力リストを設定して実行することで、チューリングマシンがどのように合計計算を実行するのかをステップバイステップで確認できます。
まとめ
本稿では、チューリングマシンがテープ上のカンマ区切り二進数リストの合計を計算する過程を解説しました。単一のテープとヘッド、有限の状態と遷移規則のみを使用して、数値の読み取り、テープ上の位置間の移動、そして二進数加算という比較的複雑な処理を組み合わせることで、このタスクが実現できることを示しました。
具体的なアルゴリズムの設計から、各ステップでのチューリングマシンの動作、そしてシミュレーターで実装するための遷移規則の概念までを追うことで、チューリングマシンが抽象的な計算理論だけでなく、具体的なデータ処理タスクをも実行可能な計算モデルであることが理解できたかと思います。
ぜひ、お手元のチューリングマシンシミュレーターを使って、本稿で解説したような二進数リストの合計計算マシンを構築し、様々な入力でその動作を確認してみてください。理論が実際の「機械」の動きとしてどのように具現化されるかを体験することは、計算可能性の概念への理解を深める上で非常に有益となるでしょう。
参考文献
- 計算理論に関する標準的な教科書(例: シップサー「計算理論の基礎」など)
- 利用されているチューリングマシンシミュレーターのドキュメント
注: 本稿で示した遷移規則はあくまで概念的な例です。実際のシミュレーターで動作させるためには、使用するシミュレーターの仕様に合わせた正確かつ完全な遷移規則セットを作成する必要があります。